◆2003年2月6日(木)◆
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●青木 豊彦(あおき とよひこ)
(株)アオキ 代表取締役
【講演テーマ】
東大阪から宇宙へ
〜人工衛星にかける夢〜 |
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講師略歴・会社沿革 |
1945年 |
大阪府生まれ(57歳) |
1961年 |
先代青木唯夫氏が青木鉄工所創業。 主に農機具部品の下請。 |
1962年 |
建設機械部品に転換、ロボット部品も。 高校卒業後、青木鉄工所入社。 |
1979年 |
個人経営から株式会社へ。 |
1982年 |
航空機の部品製造を始める。 |
1989年 |
アルミ素材の航空部品製造へ転換。 |
1995年 |
青木豊彦氏、社長就任。 航空機の機体部品の本格生産を開始。 |
1997年 |
ボーイング社の認定工場の認定を受ける。 |
2001年 |
宇宙開発事業団より、ロケット部品開発。 |
2002年 |
「東大阪宇宙関連開発研究会」を設立。会長に就任。 「東大阪宇宙開発協同組合」を設立、理事長に就任。 |
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中小企業が約8,000社集まるモノづくりの町・東大阪で「メイド・イン
東大阪」の人工衛星を打ち上げようと、計画をスタートさせた中心人物。
2002年7月に設立された「東大阪宇宙関連開発研究会」(東大阪商工
会議所)会長。12月には、研究会メンバーのうち5社と共に「東大阪
宇宙開発協同組合」を設立、理事長に就任、2005年の1号機打ち上げを
目指す。
小学生の時に目にしたロケット打上げのニュース映画や、大阪万博で見た
「月の石」を通して出会った“宇宙”を、わが町の活性化のテコとする。
もともとチャレンジ精神が旺盛。農業用機械の部品製造が主だった父の
会社で新分野開拓に努め、ロボット部品や航空機部品への進出を果たした。
「モノづくりには、プライドを持たなければならない」との思いは、同社を
世界的航空機メーカーであるボーイング社の認定工場に押し上げた。
フロンティア“宇宙”を、不況にあえぐ東大阪の地場産業にしたい、
というのが夢。
「若者がモノづくりに魅力を感じて集まってくる、元気な町になってほしい」
と期待する。
2002年10月18日
第155回国会にて、小泉首相の所信表明演説で東大阪が紹介されました。
「日本経済は、構造改革の途上にあり、厳しい状況が続いていますが、
国民のたゆまぬ努力で培われた潜在力は失われていません。
東大阪市では、独自技術を持つ地元の中小企業が数十社集まり、
3年後を目指して、小型の人工衛星を開発する計画を進めています。」
●受講生の声(当日のアンケートより)
・「私も東大阪に生まれ育ったのですが、とても夢があって素敵だと思いました。」(28歳・女性)
・「講師の熱意に引きずり込まれました。」(男性)
・「熱き思い、熱き心は閉塞感を忘れさせてくれました。意識を高く持ち行動を起こす姿が素晴らしいものでした。」(62歳・男性)
・「“まいど1号”は必ず成功し、関西は元気になる!」(男性)
・「経営者は夢と元気が資本。新しいものに挑戦させる風土づくりが最も大事だ。」(男性)
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